ネオルック記事の訳

簡潔さと細心さ_漫画バージョンの"俳句"

伊藤茜個展(2004年11月5日〜19日 希望ギャラリー

 私が知っている韓国の日本作家留学生は二人だ。一番目は現在東京芸大助教授である中村政人、 90年代頭に弘益大大学院に在学しながら韓国語が流暢な彼は、イ・ブル、チェ・ジョンファ、ゴ・ナクボムなど当時の若い作家たちと交遊しながら韓国と日本の文化的類似性と差に対する深い関心を作品にして見せてくれた。二番目が二十代の若い女性である伊藤茜だ。愛知出身で、日本ですでに活発に展示とパフォーマンス活動をしていたが、韓国の桂園(ケウォン)造形芸大特別過程に留学して来た。
 二人には他の共通点がある。中村政人は90年代頭に、今や日本の看板スターになった作家村上隆と一緒に先述したような韓国と日本を床屋看板や新聞ロゴ、天気予報などの文化的アイコンで比べる展示を持った一方、伊藤茜は村上隆が主催する若い作家たちのプロモーション展示である芸術道場グランプリで友人と一緒に結成した『ポテト班』というグループで金賞を受けた。

「a paradise」

 伊藤茜の作品は大きくペインティングとパフォーマンス、そして作家が直接手書きする個人出版物、漫画そして超低予算アニメーションなどと列挙することができる。そしてこんなに多様な作品は一貫されたトーンで叙述される作家の夢想と記憶、私的な経験、人々に対する観察、自らが眺める自分自身の立場のようなものなどで満たされている。
 伊藤茜の作品の中で面白いのは視覚的叙述の方式だ。とても短いエピソードを一カットのイメージ、あるいは多くのカットのイメージで圧縮する方式を好んで使っている。大部分の叙事は始まりと終りがわからない、どこから始まっているのかわからない話の中間部分になっている。
 ペインティングの場合を見てみよう。彼女は概して自分がよく知っている周辺の人物たちを中心に描いていく。それらは何故か分からないが富士山から噴出した鯨の口の中で温泉を楽しんでいるとか(「a paradise」)、やはり富士山から噴出しながら卵を調理するコック長の姿をしている。彼の帽子は雲、あるいは火山から始まった煙の様に見える(「I am a chief of cook」)。また他の絵では伝統日本画で見られるような垂直型の構図で家族と所帯道具、更には犬小屋と庭先の木まで担いでどこかに去っていく日本のお母さんを描いている(「無題, 2004」)。
 一画面に複雑な話を圧縮するこのような叙事方式は一見シュールリアリズム的配置のように見えるものの実際にそれが示すことは形而上学的観念ではなく、とても具体的な生活から編み出されて出た考えの構成物だ。概して彼女の作品が単純な背景と簡潔な描写で成り立った点を勘案したら、そして対象に非常に近接した画面の構成を考慮したら、彼女の絵は、著しく現代的な『俳句』の視覚的翻案のように感じられたりする。俳句に見られるような対象への素早いズームインは、ここではもうズームインされた事物たちの省略された連鎖で扱われているだけだ。

「I am a chief of cook」 「無題」

 日本の短編漫画はその寸鉄殺人の性格が韓国のそれとは少し違う。ずっと薄味とでも言わねばならないだろうか?それにも関わらず対象を瞬間的捕捉で掘り下げる視線は、韓国のそれではみられない特有の速度感と方向を持っている。伊藤茜が描く漫画とアニメーションはペインティングで見せる圧縮感に加えて、口語体台詞の速度感と曖昧だが瞬間的に明滅する感情を、軽やかながら少しどもりがちなタッチに載せて見せてくれる。 
 例えば、アニメーション「膝を抱えた男」は自分のボーイフレンドに対する視線の距離と心の接近を同時に見せてくれる作品だ。膝を抱えこんで何もせずに座っている男は、実は事毎に思慮深い返事を伝えてくれる。
 他の作品と同じように一人部屋の中で落書きした紙たちをコマ撮影で継いでいくようなこのアニメーションの形式的貧しさは、むしろそのために叙事の繊細さを浮かび上がらせることになる。 強い心遣いと繊細な視線、どもりがちなタッチと貧相に見えるが粘りのある技法、感動を催す要素たちをあまねく取り揃えている。

 最近伊藤茜が韓国とフランスの若い作家たちと一緒に『国境』という主題で作業した「ウミノソラミ(海野空美)」プロジェクトは、タブロイド新聞形態で日本のあるコスモポリタン女性の生をフィクションで扱ったものだ。特徴はこの女性が「化け物」であるという点だ。ある日本男性がキリンと愛に溺れて生まれた子供から始まったこのおびただしい遺伝子合成の結果物は結局人間、キリン、鳥、魚、亀、トカゲ、カブト虫、犬などが混合した形態の女性につながった彼女がすなわち海野空美だ。 
 彼女が愛する男性も負けず劣らぬ合成体だ。血縁的アイデンティティを重視するアジアの作家として彼女が作り出した混成に対するこの空想物はその内容だけで相当な楽しさと緊張感を催す。 そして詳細なディテールと事件たちを構成する作家の語り口と筆遣いもユーモアと繊細さが一杯だ。 ただ「変身」としてのアイデンティティ以後に、同一な問題の線上でどんな話が起きるのかが気になるところだ。

 伊藤茜の韓国での作家的冒険は韓国語を学んでそれで作品を制作することから始まった。彼女の関心と視線の動く方式は私たちに面白い鏡を提供してくれる。彼女の友人たちもだんだん韓国で頻繁に展示をするようになってきている。景園大学校ギャラリーやストーン&ウォーターでの展示は、韓国で現在起きていることとは相当違うスペクトラムを見せてくれていた。 
 これらの作品が韓国の若い作家たちが描き出す地形と一緒に、更により良い交流を通じてこれからも持続的におもしろい領域を見せてくれるのを期待する。 

ユ・ジンサン(ケウォン造形芸術大学教授)

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